内閣官房長官、総務大臣、法務大臣、財務大臣、文部科学大臣及び経済産業大臣の申し合わせにより開催されている「法曹の養成に関するフォーラム(以下「フォーラム」という。)」は、平成23年8月31日、司法修習生に対する給費制の問題について貸与制への移行を基本とする第一次取りまとめを行った。そして、政府は、平成23年11月4日、貸与制の「最長5年間の返還猶予」を定めた裁判所法改正案を閣議決定し、臨時国会に提出した。
日本国憲法は、帝国憲法下で行政の監督下に置かれていた司法を独立させ、司法を、国家権力による人権侵害を防ぐ人権保障の最後の砦とした。そして、司法を担う法曹を養成するため、国による統一的な法曹養成制度として、司法修習制度が整備された。法曹は、裁判官、検察官、弁護士の三者に別れて職務を行うが、これら三者への分化は、司法に寄与する面の差異によるものであり、いずれの一つの職務の遂行が不十分であっても、司法の機能は不完全なものとなる。
法曹の養成制度は、三権の一翼である司法権のあり方、ひいては基本的人権の擁護の根幹にかかわる重要な制度である。また、司法修習制度は、戦後改革の中における新たな司法制度の役割、司法機能の充実のために果たすべき法曹の責務と一体性等を踏まえ、統一的修習として制度化され、その中で司法修習に専念できるようにするために給費制が実施された。すなわち、弁護士を含む法曹養成は、国家のために必要不可欠な人的インフラ整備として、国家の責任をもって行われるべきものとされたのである。
今般の司法改革は、それまでの事前規制型の社会から明確なルールと自己責任原則に貫かれた事後チェック・救済型社会への転換を目指して、司法の基本的制度を見直すものとして行われた。司法制度改革審議会意見書によれば、司法の役割の重要性が飛躍的に増大し、21世紀のあるべき「この国のかたち」として、司法の規模及び機能の拡大・強化を図ることが重要とされるとの考えに立ち、司法制度改革の実現に必要とされる人員・予算の確保が不可欠であり、厳しい財政事情の中にあって相当程度の負担を伴うものであるが、政府において、これまでの経緯にとらわれることなく、積極的な措置を講ずることが強く要望されてきた。
司法改革は法科大学院を中核とする新たな法曹養成制度を生み出し、これにより多様な法曹が誕生することが期待された。しかし、法科大学院適性試験の志願者数は、制度発足時と比較して約5分の1以下にまで減少し、社会人入学者の割合も大きく減少している。また、司法試験の対受験者合格率は、平成23年度において23.5%と低迷し、未修者の合格率は、16.2%となっている。
このような危機的な状況に陥っている最大の原因は、法曹を志望すること自体大きなリスクを抱えるようになったことである。すなわち、司法試験合格者数(平成23年度の合格者数は2063人)と実際に設置された法科大学院の定員数(平成23年度の入学定員は4571人)に倍以上の差異があるために司法試験合格率が当初の制度設計に比して低率な状況下において、たとえば就職している社会人は、法科大学院に進学すれば、高額な学費負担に加え、学業に専念するため事実上勤務先を退職せざるを得ない状況にある。また、司法修習生となれば、修習専念義務のためアルバイトは法律上禁止される。過半数の司法修習生は、それまで相当額の奨学金等の借入金を負担している上、さらに修習費用の貸与を受ければ、借入金額は大幅に膨らむ。そればかりか、司法修習考試(二回試験)に合格して司法修習を終了しても、司法修習生の大部分が目指す弁護士は、近年の弁護士人口急増によりこれまでにない就職難の状況にあり、就職して収入を得ることができないリスクをも考慮したとき、経済的な理由で法曹への道を断念せざるを得ない状況となっている。
司法制度改革審議会においては、法科大学院を中核とする新たな法曹養成制度の創設に向けた議論が中心的に行われ、司法修習については、法科大学院教育の進展を見定めながら、そのあり方を検討していくこととされた。そして、司法制度改革審議会意見書は、給費制について、法曹養成制度全体の中での司法修習の位置づけを考慮しつつ、そのあり方を検討すべき、との記載にとどめている。すなわち、給費制の問題は、法曹人口に関する目標の妥当性や法科大学院のあり方など、法曹養成制度全体にかかわる重要課題と密接不可分な関係にある。
これまで、法曹を養成するにあたっては、司法を担う法曹者を育成することによる受益者が国民であるとの考え方から、給費制がとられてきた。一方、フォーラムにおける前記取りまとめは、司法修習は個人が法曹資格を取得するものであってその費用は受益者となる修習生が負担すべき、との考え方に基づく。ここには、法曹の養成を「社会的インフラ」から「個人的な資格取得」とみる、大きな思想の転換がある。
給費制を維持するか否かを決するにあたっては、おのずと、法曹養成制度全体をどのようなものとして設計するか、また、社会が期待する弁護士像はどのようなものかといった巨視的な観点に基づいた検討が不可欠である。
しかるに、フォーラムは、東日本大震災の発生により開催が遅れ、平成23年5月25日から8月31日までの短期間に5回、給費制の問題を法曹養成制度全体の議論に先行させて切り取った上で、専ら、修習期間中の生活費を後に返済することが可能か否かという矮小化された論点設定により、わずか2回の実質的審議により本取りまとめを行った。法曹人口に関する目標の妥当性や法科大学院のあり方など、法曹養成制度全体にかかわる重要課題については、今後審議を行うこととされた。ここでは、社会的インフラとしての法曹を養成するための給費制から貸与制に移行することの可否を考える必須の前提ともいえる、法曹養成にかかる制度設計全体についての議論は、全くなされていない。
フォーラムがこのような拙速な取りまとめを行い、政府が本取りまとめに基づいて裁判所法改正案を提出したことは、昨年11月に給費制を暫定的に維持して十分な議論を求めた国会の意思にも反し、稚拙かつ不当であると言わざるを得ない。
このまま司法修習費用の給費制を廃止して貸与制を実施するならば、経済的な理由により法曹への道を断念する傾向がさらに進むことが大いに懸念される。現に、新65期司法修習生においては、貸与制に対する不安と就職難から修習辞退者が出ており、貸与制が続けばこの状況はさらに悪化していくものと考えられる。司法が三権の一翼を担う重要な作用であるからには、有為な人材であれば平等・公平に法曹を目指す機会が、法曹養成において保障されなければならない。少なくとも、法曹を目指そうとする段階で、経済的に恵まれているかどうかによって法曹への道を断念する者が現れることはあってはならない。
この度提出された政府提案については、与野党の協議により、法曹養成制度全体の早期見直しと、貸与制の実施延期の2点を明記され、法曹養成制度全体にかかわる議論がなされるまでの当面の間、給費制が継続されるよう、法案の修正が図られることを強く求めるものである。
会長 森本精一