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1 従来、我が国の刑事裁判では、捜査段階において密室で取調べられ作成された被疑者の自白調書に強く依存して事実認定が行われてきたが、その結果、多くの冤罪事件を生み出してきた。
平成19年2月23日には鹿児島地方裁判所において、公職選挙法違反被告事件に関し、被告人全員を無罪とする判決が言い渡された(志布志事件)。また、平 成14年に富山県氷見市において発生した強姦事件においては、犯人とされた者が実刑判決を受けて2年以上服役までした後に、真犯人の存在が発覚し、再審で 無罪となった(氷見事件)。さらに、平成元年に佐賀県杵島郡北方町(現武雄市)において発生した女性3名殺害事件においても、一審・二審とも無罪判決が言 い渡されている(北方事件)。
このような事態が発生する原因は、密室における取調べが捜査官による威圧、利益誘導などの違法・不当な取調べに結びつき、虚偽の自白を誘発したことにある といわざるを得ない。過去にも、いわゆる免田事件・財田川事件・松山事件・島田事件などの極めて重大な事件を含む数多の冤罪事件が発生してきた。それにも かかわらず、最近においても上記のような冤罪事件が繰り返されるということは、冤罪事件に対する反省・対策が十分に行われてこなかったということに他なら ない。
今後二度とこのような事態が発生しないようにするためには、取調べを密室で行うことなく外部の者が監視しうる状態で行われるようにすること、すなわち、取調べの「全過程」を可視化(録画・録音)するという方法以外にはあり得ない。 -
2 また、平成21年5月までに開始される裁判員制度を円滑に実施するという観点からも、取調べの全過程の可視化は必要不可欠である。
従来の密室での取調べにおいては、そこで何が行われたのかについての客観的証拠がないため、自白の任意性・信用性に関する審理にあたっては、取調官に対す る証人尋問や被告人質問に膨大な時間を費やさざるを得ず、必然的に公判の長期化をもたらしてきた。裁判員制度のもとでは、このような長期間かつ難解な審理 の負担を裁判員に課すことは避けなければならない。
この点、取調べがどのように行われたかを明らかにするためには、取調べの全過程を可視化することが最も直截であり、審理期間の短期化や適正な事実認定にも資するものである。 -
3 なお、検察庁においても、平成18年7月から、取調べの一部の録画・録音を試行的に実施している。
しかしながら、これは、検察官の裁量により、検察官による取調べの一部を録画・録音するものに過ぎない。そうであれば、被疑者が初めて自白する際の取調状 況が録画・録音されないことも容易に推測されるところであり、これでは、かえって取調べの実態の評価を誤らせる危険が高い。
現に東京地裁の平成19年10月10日判決では、検察官に対する自白状況を10分間余り録画したDVDの証拠価値について、撮影時期・撮影時間等を理由に 任意性立証の有用な証拠として過大視することはできないとの判断がなされている。この判断は、検察庁が試行する取調べの一部の録画・録音では不十分である ことを端的に示し、取調べの全過程の可視化の必要性を強く示唆するものである。 -
4 また、警察庁においても、先般、取調べを監督する専門部署を設置する方針を明らかにした。しかしながら、警察はこれまで密室における自白強要を野放しにしてきたのであり、かかる組織の内部での監督では、違法・不当な取調べの抑止は期待できない。
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5 諸外国をみれば、イギリス、アメリカ、オーストリア、香港、台湾、韓国等などでも取調べの録画・録音が実施されている。取調べの録画・録音の結果、取調べ に支障をきたしたとか、治安が悪化したなどという例は聞かず、自白の任意性・信用性をめぐる争いはほぼみかけなくなっているという。
このような世界の趨勢に照らしても、我が国においても早急に取調べの可視化を実現させるべきである。 -
6 日本弁護士連合会においては、平成15年の松山の人権擁護大会及び平成19年の第58回定期総会において取調べの可視化を求める決議がなされ、九州弁護士 会連合会においても、志布志事件を背景に、平成17年の鹿児島大会において、「秘密交通権の侵害を許さず、取調べの可視化を求める宣言」をしているが、い まだ取調べの録画・録音は実現されていない。
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7 よって、本会は、検察官による取調べのみならず、警察での取調べも含めて取調べの全過程の可視化の一日も早い実現を求める。
会長 山下俊夫