- 現状の整理
現在,「特定複合観光施設区域の整備のための基本的な方針(案)」が公表されており,その中で特定複合観光施設区域整備法に基づく区域認定申請の期限が2021年7月30日とされている。
長崎県は,従前より佐世保市にカジノを含む特定複合観光施設(以下「IR」という。)を誘致することを積極的に表明し,「九州・長崎IR基本構想(案)」を公表している。また,現在,長崎県は,IR事業者から事業コンセプトを公募しており,事実上,IR事業者の選定を開始している。
このような長崎県のIR誘致に対する積極的な姿勢からすれば,上記申請期限までに長崎県がIR区域認定申請を行うことがほぼ確実に予想されるところである。
- 当会による市民向けシンポジウムの開催
当会は,2019年11月16日,長崎県佐世保市において,IR誘致について考える市民向けシンポジウム「佐世保にカジノがやってくる!?IR誘致について私たち市民が知っておくべきこと」を開催した。そして,同シンポジウムでは,2017年6月20日に当会が発出した「『特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律』の廃止を求める声明」で指摘したとおり,IRがもたらすとされる経済効果の実現可能性に対する懸念や,IRの中核をなすカジノから生じる様々な弊害,具体的にはギャンブル依存症患者や経済的破綻者の増加,治安の悪化や反社会的勢力の暗躍,マネーロンダリングの危険等が,改めて浮き彫りとなった。
- カジノの弊害は長崎県民を直撃する
IRの中核をなすカジノは,そもそも我が国の刑法が禁じている賭博そのものである。
また,平成26年(2014年)8月に公表された厚生労働省の調査によれば,我が国のギャンブル依存症者数は推計536万人にのぼり,これは成人人口の約4.8%にあたる。カジノが解禁されれば,カジノをきっかけにして新たにギャンブル依存症に陥っていく人が生じることは明らかであり,ギャンブル依存症者が増加することは避けられない。さらには,いったんギャンブル依存症にり患してしまうと,カジノ利用を自己抑制することができなくなり,次第にカジノの賭け金を借入れで賄うようになり,その結果,多重債務状態に陥り,最終的には経済的に破綻してしまう。そして,多重債務による害悪は,カジノ利用者本人だけでなくその家族にも及び,最悪の場合,本人又は家族の生命に対する重大な結果を引き起こすこともある。
加えて,カジノ利用者をターゲットとしたヤミ金融や,カジノ利用を制限された者を対象とした闇カジノの運営,さらには,いわゆる「ジャンケット」(VIP顧客をカジノに送客し、カジノ事業者からコミッションを得る者)を典型とする「媒介者」としての関与等,反社会的勢力がカジノ周辺領域での資金獲得活動に参入する懸念も大きい。そして,カジノ周辺で反社会的勢力が暗躍するようになれば,それに伴い,近隣地域の治安が悪化する危険を否定することはできない。この点に関し,平成24年11月付「カジノを含む統合型観光リゾート(IR)による経済・社会影響調査―調査報告書―」(北海道総合政策部政策局)によれば,マカオでは,軽窃盗,高利貸し業,売春などがカジノ開発に伴って発生していることが報告されている。
これらの弊害は基本的人権を侵害するものであり,いかなる経済効果をもってしても決して正当化することはできるものではない。
そして,長崎県にIRを誘致した場合に,長崎県民がカジノによる弊害の悪影響の多くを被ることになることは,火を見るよりも明らかである。当会は,同じ長崎県民がカジノの犠牲になる未来を看過することはできない。
- IR誘致に伴う経済効果の実現可能性に対する疑問等
長崎県は,IR誘致のメリットとして経済効果を強調しているが,長崎県が公表している経済波及効果は,「九州圏内」を対象としたものにとどまる。本来,長崎県がIR設置に関し合意形成を図るべき「地域住民」は佐世保市民及び長崎県民であるところ,長崎県は,そのような佐世保市民及び長崎県民へ直接及ぶ経済波及効果を,現在まで具体的に明示していない。また,公表された九州圏内への経済波及効果についても,具体的な算定根拠が明示されておらず,その実現可能性はまったくの未知数である。ましてや,「九州・長崎IR基本構想(案)」等の長崎県が公表している資料を参照する限り,IR誘致によるマイナスの経済効果について充分な検証が行われているようには見えない。「九州・長崎IR基本構想(案)」では,ギャンブル依存症対策に加え,治安維持対策・組織犯罪対策・青少年の健全育成対策に取り組むことが記載されている。そして,いずれの対策にも費用なしには行えないものであるところ,これらの対策費用としてどの程度の支出を予測し準備しているかについて,「九州・長崎IR基本構想(案)」からはまったく読み取ることはできない。
加えて,長崎県は,複数の平和祈念施設や世界遺産,そして豊かな自然の財を有しており,日本全国,さらには世界各国から数多くの観光客や修学旅行客が来県している。しかし,IRを誘致した結果,カジノがもたらす弊害により長崎県全体のイメージが低下し,既存の観光客や修学旅行客の来県に悪影響を及ぼすおそれがあることは想像に難くないところである。ところが,「九州・長崎IR基本構想(案)」を参照する限り,このようなマイナスの経済効果について,長崎県が充分な検証を行っているようには見えない。
- 佐世保市民及び長崎県民の多数がIR誘致に反対している
2019年4月の佐世保市長選挙にてNHKが佐世保市民を対象に実施した出口調査では,有権者の57%がIR誘致に反対であることが明らかとなった。また,2019年夏の参議院選挙前に長崎新聞社などが長崎県民を対象に実施した世論調査では,IR誘致賛成派が37.2%であるのに対してIR誘致反対派は49%であり,反対派が賛成派を大きく上回っていることが明らかとなっている。付言すれば,2019年12月に日本世論調査会が実施した全国面接世論調査では,自分の居住する市町村や生活圏にIRを誘致することについて回答者の77.4%が反対の姿勢を示している。
このように,佐世保市民及び長崎県民のみならず国民の多数がIR誘致に反対しているのであり,長崎県はこれらの声にきちんと耳を傾けるべきである。
- 結論
以上のとおり,事業目的の実現可能性に乏しく,かつ複数の深刻な弊害の発生が強く見込まれるような施策を,長崎県民の多数が反対しているにもかかわらず,行政主体である長崎県が積極的に推し進めることは,長崎県民に対する長崎県民の信認を得たものとは言えない。
加えて,IRを誘致したものの期待された経済効果が充分に上がらない中,長崎県民がカジノによる様々な弊害に苦しみ続ける未来すら強く懸念される。このような事情に鑑みれば,長崎県がIRを誘致することは短絡的に過ぎると言わざるを得ない。
よって,当会は,基本的人権を擁護し,社会正義を実現することを使命する弁護士の職能団体として,長崎県佐世保市にIRを誘致することに対し強く反対するとともに,長崎県に対しIR誘致の即時中止を求める。
2020年(令和2年)3月23日
長崎県弁護士会
会長 森 永 正 之
会長 森 永 正 之