2013年(平成25年)3月26日
長崎県知事 中村 法道 様
会長 戸田 久嗣
-
第1意見の趣旨
平成24年12月18日、諫早簡易裁判所において、長崎県を原告、県営住宅の元入居者であった主債務者の連帯保証人を被告とする、保証債務の履行請求事件の判決がなされた。その過程において、長崎県が免責を受けた元入居者である主債務者から、免責確定後、公正証書を作成し、免責された滞納家賃の半ば強制的とも言える回収を行っていたことが明らかとなった。
このような長崎県の行為は、免責制度の趣旨に反し、また、長崎県が取り組んでいる自殺対策事業を台無しにしてしまうものであることから、長崎県弁護士会は、長崎県に対して、次のとおり、意見を述べる。
- (1) 同種の不適切な回収行為がないかを調査することを求める。
- (2) 免責制度及び自殺対策事業についての職員への啓蒙啓発教育を求める。
-
第2意見の理由
-
1 事案の概要
-
(1) 県営住宅の入居者であった主債務者Aが、約3年分の家賃を滞納して退去し、平成14年11月に破産・免責決定を受けた。
しかし、その後も長崎県の職員は、元入居者A宅を何度も訪れ、滞納家賃を支払うよう求めてきた。
平成15年1月、長崎県は、長崎県住宅供給公社の職員を相手方である元入居者Aの代理人とさせ、破産した事実を公証人に告げずに、公証役場において強制執行認諾文言入りの公正証書を作成した。そして、免責を受けた滞納家賃の回収を続けた。
元入居者Aが長崎県の職員に対し、「仕事ができず収入がなかった」と述べても、長崎県の職員は元入居者Aに対し、毎月家賃納入するよう「指導」したり、「今後約束違反したら、支払督促を申し立てる」旨告知しながら回収を続けた。
結局、元入居者Aが滞納家賃を支払えなくなったため、平成24年2月、長崎県は、諫早簡易裁判所に対し、連帯保証人Bへの支払督促による支払いを求めた。
連帯保証人Bが時効を主張し、異議を申し立てたため、通常訴訟に移行した。
-
(2) この裁判において、長崎県は、平成15年1月、長崎県が元入居者Aの代理人と公正証書を作成したことにより、時効が中断している、平成15年以降、元入居者Aが返済しており、時効が中断している、等主張した。
-
(3) この裁判において、諫早簡易裁判所は、次のとおり、判断した。
「Aが破産して免責許可決定が確定し、Aの未払賃料等債務が自然債務となり強制履行を求めることができなくなったにもかかわらず、何を慮ってか、原告は、主債務者であったAからの回収にこだわり、公正証書を作成するようA(入居者)に要求し、当時の原告住宅課の訴訟・管理担当者参事であったCが原告の代理人、同人と家賃滞納者への納入指導課の仕事を一緒にしたこともある当時の長崎県住宅供給公社諫早事務所長であったDがAの代理人となり、Aの強制執行認諾文言まで入れた公正証書を作成し、Aに分割払いが遅れると差押えもあり得ると説明したうえで、平成23年9月8日までAからの債権回収を行った。強制執行認諾文言を入れた公正証書を作成し、分割払いが遅れると差押えもあり得ると説明を受けたうえでした弁済は、任意の弁済とはいえない。」
「長崎県は、平成19年6月7日に、Bから、『原告とAが公正証書を作成した時点で、連帯保証を解消したと思っている。』と明確に本件債務を否定されたにもかかわらず、結局、A和解による弁済期日から10年経過後の平成24年2月3日になってようやく被告に対する裁判上の請求に至ったが、本件訴訟になってからも、破産して免責許可決定が確定した主債務者からの取立ても困難ではないと、いわゆるヤミ金業者でも法廷ではしないような強弁をするなど、原告の債権回収に対する考え方、方法が極めて不適切であったことは明らかである。」
-
-
2 免責制度の趣旨・背景
-
(1) 破産法における免責とは、自然人である破産者をして、破産手続による配当によって弁済されなかった残余の債務について、その責任から免れさせることである。
-
(2) 破産手続は、破産者の全ての財産を破産管財人の下で換価・配当することにより、債権者に対する平等な弁済を実現する手続であるが、破産財団によって全ての破産債権に対する全額の弁済が可能となるような例外的な場合を除き、破産配当後の残額については、なお、破産者の責任は残ることとなる。
しかしながら、自然人である破産者について、破産手続終結後も責任を免れないとすれば、自然人である破産者の経済的更生を図ることができない。
そこで、破産法は、自然人である破産者の経済的更生を考え、「免責」制度を設けた。
「免責」後、自然人である破産者は残余の債務の全部について責任を免れ、支払いを強制されず、経済的更生を図ることができるようになったのである。
-
-
3 長崎県の取り組み
-
(1) 自殺対策基本法の制定等
平成18年当時、日本国内において、年間3万人を超える人が自殺で亡くなっているという事態が続いていた。
自殺は、個人的な問題としてのみ捉えられるべきものではなく、その背景に様々な社会的要因があることを踏まえ、総合的な対策を早急に確立すべきことから、平成18年6月、「自殺対策基本法」が制定され、同年10月施行された。
そして、政府は、平成19年6月、自殺は追い込まれた末の死であること、自殺は防ぐことができること、自殺を考えている人は悩みを抱えながらもサインを発しているという3つの基本認識のもと、自殺総合対策大綱を閣議決定した。
そこで、破産法は、自然人である破産者の経済的更生を考え、「免責」制度を設けた。
-
(2) 長崎県自殺対策5カ年計画の策定
長崎県においても、平成18年当時、年間400人前後の人が自殺で亡くなるという状況があった。また、上記の国の動きを受けて、長崎県は、平成19年1月、長崎県自殺対策連絡協議会を設置し、平成20年3月に「長崎県自殺対策5カ年計画」を策定した。
自殺は、個人的な問題としてのみ捉えられるべきものではなく、その背景に様々な社会的要因があることを踏まえ、総合的な対策を早急に確立すべきことから、平成18年6月、「自殺対策基本法」が制定され、同年10月施行された。
この自殺対策5カ年計画において、平成28年までには年間自殺者を平成18年当時の約400人から300人以下を目標とするよう、諸施策が定められた。
-
(3) 長崎県の具体的取り組み
長崎県は、平成18年度の長崎県の自殺原因1位が「経済・生活問題」であったことから、?平成20年7月からは「多重債務者等のメンタルヘルス無料相談事業」を、?平成22年7月からは「多重債務者等の暮らしとこころの相談事業」を開始した。
?の「多重債務者等のメンタルヘルス無料相談事業」は、多重債務相談に来た相談者の中で、希望した相談者に保健師によるメンタルヘルス相談を行うものであり、長崎県弁護士会、法テラス長崎・佐世保、県消費生活センター、佐世保市消費生活センターで実施されている。そして、保健師が精神科医師への相談が必要と判断する相談者に対しては、精神科医に相談を促し、その費用を初回無料とするという2段の対策を講じている。
?の「多重債務者等の暮らしとこころの相談事業」は、現在、長崎県内8か所において年間9回ずつ実施されている。
また、「長崎県自殺総合対策 相談対応のための手引き集第1巻 借金・経済問題への対応」において、「借金による自殺既遂者や未遂者の多くは、消費生活センターや法律家による適切な援助を受けていないことがわかっている。このことは、彼らが専門家による適切な援助につながっていれば、自殺は予防できた可能性を示唆している」と指摘するなどして、自己破産・免責などの制度を利用させるよう薦めている。
-
-
4 長崎県弁護士会の関与
長崎県の取り組みは、自殺対策として重要なものであった。
そのため、長崎県弁護士会は、上記??の事業に協力を行ってきた。
?の「多重債務者等のメンタルヘルス無料相談事業」については、当会が実施場所のひとつとなっているが、毎週火曜日に実施されている無料法律相談において、保健師に長崎県弁護士会と同じビル内の法テラスに待機して貰い、法律相談からメンタルヘルス相談に速やかに繋げるよう、態勢を整えており、平成20年7月から25年1月まで、当会を通じた相談実績は40件である。
また、長崎県が県内8地域で通年実施している?の「多重債務者等の暮らしとこころの相談事業」には当会の弁護士を派遣している。
-
5 長崎県弁護士会の考え
-
(1) 長崎県は上記のとおり自殺防止5カ年計画を推進し、自殺防止の諸施策を実施しているとともに、多重債務者に対しては、自己破産・免責などの制度による経済的更生を薦める態勢を取っている。一方において、長崎県障害福祉課を中心に取り組んでいるこれらの事業については、高く評価されるべきものである。
-
(2) 長崎県自殺対策5カ年計画の策定
しかしながら、他方において、上記裁判において現れたように、同じ長崎県の職員が、元入居者に対し、元入居者宅の自宅に何度も訪れて免責された家賃債務の支払を求めてきたことや、強制執行認諾文言を入れた公正証書まで作成させ、「仕事ができず収入がなかった」と言っている元入居者に毎月納入するよう「指導」したことは、同じ長崎県の職員が、債務者の経済的更生を図るという免責制度の趣旨を理解せず、また、長崎県自身が実施している自殺対策事業を台無しにしてしまうような重大な誤りである。しかも、長崎県の職員が、当該行為の正当性を、法廷においても当然の如く主張したことは、長崎県の訴訟対応体制にも不備があると言わざるを得ない。そのため、裁判所でも、「破産して免責許可決定が確定した主債務者からの取立ても困難ではないと、いわゆるヤミ金業者でも法廷ではしないような強弁をするなど、原告の債権回収に対する考え方、方法が極めて不適切」と指弾されている。
-
-
6 結語
以上のことから、当会は、長崎県に対し、同種の不適切な行為がないかを調査するとともに、長崎県の職員への免責制度及び自殺対策事業に対する啓蒙啓発教育に努めるよう求める。
-